原作『カウボーイビバップ』の世界観を用いたやる夫系二次創作のWikiです。


書き上げた原稿を前に(上)


「…………おぅ。我ながら、目が滑る文章」

 自らの文章を読み返して、思う。やはり自伝ともなればそれなりの格式が必要だと思ったのだが、これでは少し親しみに欠けるかもしれない。
参考にした文体にご立派な小説を選んだのはやはり間違いだった。
 仕方がなく、文頭にメモを追加しておく。

 この先、読み飛ばし可。マジで。

 ………………少しばかり、あんまりなメモ書きか?



本文


 端的に言って、私は勝ち組だった。
 ……だった、という過去形で表現するたびに忸怩たる思いがする。あのままでいれば、私は労せず富を得、自らが生まれ持った資質に基づき
順風満帆に社会的地位を手に入れ、その『手札』を以て安定して自らの望む道を選び取ることができたはずだというのに。
 あの事件のせいで、すべてがご破算。とはいえ私の生得的資質及び能力を以てすれば道が塞がれたわけでもない以上、必要以上の悲観は
自分自身への能力への疑義をも意味し、それは個人的矜持にかかわることなので断じて否定せざるを得ないのだが。
 ……本当に、忸怩たる思いでしかない。

 物心つく、と言うが、私が物心ついたのはいつごろだろうか。ここでは、自覚している最古の記憶が残っている時期を
『物心ついた時期』と定義しようと思う。
 さて、その定義に則るとするならば、自覚している限りにおいて自分の確かな記憶だと確信できるのは、五歳くらいのこと。
家庭教師との退屈なやり取りだっただろうか。
 裕福――と単に表現するにはあまりにも潤沢な資金力と社会的地位を備えた両親の間に生まれた私は、その潤沢な資金力を以て、いわゆる英才教育を
施されていた。人の能力の限界が脳によって生得的に定められていることが脳医学的に明らかになってよりすでに久しいが、かといって英才教育が
まったく無意味というわけではない。この手の教育というのは、幼いまっさらな脳に『最適な開発』を施すという意味合いでも有用である。
何せ、脳とはまさしく白紙のノートであり、学習とはそのノートに知識という名の文章を書き込む行為であったとしても――横書きで
書き始めたものを途中から縦書きに変更することができないように一度書き出した書式を変更することはできないし、そもそもページ数には
限りがあるのだから。
 その点、英才教育によって『確立した有用な知識のフォーマット』……即ちすぐれた書式を得られた私は幸運なのだろう。何せ、その後の人生を
鑑みれば、『ソレ』があるのとないのとでは生存能力に大幅な開きが生まれるのだから。
 とはいえ、両親から甘やかされて育った当時の私にとって、家庭教師とのやりとりは退屈極まりなかった。勉学として知識を吸収することの有用性は
繰り返し説かれていたし、私としてもそこに異論はなかったが、何分ただの子供。遊戯の時間すら削ってとなれば、ただの幼児としてはそこに
不満を抱くなというのも無理からぬ話だと思う。
 学んだことは、一般的な社会知識全般。いわゆる一般常識と呼ばれるものだった。あとは『地球』における歴史的な文学知識を幾ばくか。
お蔭で私は地球知識についてはそこそこ――まぁ常人よりは多少、専門家にははるかに劣る程度ではあるが得ることができた。まぁ、今以て
雑学の領域以上に活用できた試しはないが。
 あとは精々、申し訳程度の計算能力や、社会情勢、両親の社会的地位がどれほど凄いのか認識できる程度の理性――だろうか。はっきり言って、
こうした英才教育の大半はその後の私の人生においては無意味だった。ただ一つ、こうした学習を通じて得た『物事を理屈で捉える』という
選択肢を除けば。
 とはいえ、こうした私の生い立ちは、後々の人生を決定づける大きな要素を孕んでいた。現状――退屈を厭う感性。自身の生得的資質への
旺盛な自信。そして、物事を理論的・理性的に分析する知性、だ。

 こうした個性を孕んだ私にとって、一つの出会いがあった。それは、戯れに眺めていたテレビに映し出されていた光景だ。
 ……あれは、どこの惑星の映像だったか。確か、イオ? レッドカーペットの上をすまし顔で歩く、煌びやかな恰好の男女。そして、彼らに
注がれる尊敬の視線と万雷の喝采。
 退屈に辟易し、刺激に飢えていた私は当時、素直にこう思った。
 あれがすべて、私に注いでいたら、どれほど退屈しないだろうか、と。
 そして私は思った。両親の社会的地位を息女として継承する私ならば、幼少からの天才教育を施された私ならば、そして生得的に得たこの資質
ならば、と。すべての要素を鑑みて、私が彼らに劣っているものは何一つないと確信できた。唯一足りえていないとすれば、それは意思の力だ。
 いかに高性能な拳銃であろうと、銃弾を込めていなければ人を殺すことはできない。同じように、意思という名の弾丸が込められていなければ、
私という拳銃がいかに優秀極まりないとしても、彼らの立つ場に立つことはできまい。これまでの私には目的がなかった。だが、今の私は違う。
 ありていに言うならば、幼子だった私は、六歳のその日、将来の夢……と呼べる目標を手にしたのだった。
 そうと決まれば、とばかりに私は両親やに自分の夢を声高々と語っていた。『自分もあの赤い絨毯の上を歩く人種の仲間入りがしたい』と。
『あの中でもさらに頂点に位置する人間になりたい』と。
 ここで両親が『そんな夢想はやめなさい』と言っていれば、あるいは今の私の人格は大きく変化していただろう。夢を貶められて現実的な人間に
なっていたか、あるいは幼さゆえに夢の否定に対しムキになっていたかは、定かではないが。
 ともあれ、それらの仮定で現在の私の状態を
論じるのは無意味だ。
 なぜなら、当時の両親は私のそうした夢を満面の笑みで受け入れたのだから。
『あなたならできるわ』、『お前はかわいいからなぁ』……まともに社会経験を積んだ者なら、親馬鹿のそれと断じられるほど、無根拠な――いや、
正確には自身の娘の資質のみに拠った判断だろう。そんな彼らの判断は寸分たがわず正しかったのだが、当時の私の人間性はこの一件で完全に
固定されてしまったと言って過言ではない。
 そんな一件の僅か三日後、私の両親は『不幸な事故』により命を落とした。
 観光収入による税収を以て街の財政を回している都市だからこその失陥だったといえよう。毎年夏ごろには観光客が多く集まる。……もちろん
観光に拠って立つだけあってそれで治安が悪化するということはない。だが、観光客の一人ひとりに身辺調査・経歴調査を行うような余力・権限が
都市側にあるわけもなし。必然的に、観光客が多く集まる時期の『潜在的な治安』は悪化しているとみるべきだったのだ。
 しかし都市側はその備えを怠り――結果として、私の両親を含む一四人がそのツケを払うことになった。
 具体的には、モノレールの爆破だったらしい。
 運の悪いことに、死者はその一四人のうち私の両親二人のみ。あとはまぁ……腕がとれたり、足がとれたり、一生もののトラウマを負ったかも
しれないが、最後のを除けば素晴らしき再生医療が彼らの今後の人生を明るく彩ってくれることだろう。げに素晴らしきは神の恩寵ではなく、
科学の叡智というわけだ。
 そう。あえて言葉を選ばず――ではなく、乱暴な言葉を選ばせてもらうならば、クソったれの神はこともあろうに、政治的イデオロギーなんぞ
によって凶行に走った愚かなテロリストに恩寵を与え、そして私の両親を、私の素晴らしき前途を舗装してくれるはずだった後ろ盾を文字通り
道半ばで吹っ飛ばしてくれやがりあそばせたのだった。
 当時の私は、茫然とした。
 当然だろう。弱冠六歳の少女が、突然人生で最も親しかった存在二人を失い、さらに将来に至るまで自分を庇護してくれる強力な後ろ盾を失い、
すぐさま行動をとれるだろうか?
 しかしながら、この現実の中において、私が自室にこもって忘我していた数日間というのは致命的なまでに長すぎた。
 この世界は、この星の社会は、親を失った子供が何もしていなくとも次なる安寧の地を得られるほど高性能なセーフティネットを有しては
いない。権利者たる『大人』が消えたならば、どこからともなく野放しになった餌の匂いを嗅ぎつけたハイエナどもが群がり、そしてその権利を、
財産を細分化し、むしり取っていく。
 気が付けば、私に残されていたのは子供服一式を売り払って得たそこそこの大金と、自分の身に着けていた、外出するにはあまりにも貧相だと
評価せざるを得ない――しかしそれでも凡百の家庭でみればそこそこ上等な質の部屋着のみだった。
 季節が夏だったのは、私にとっては喩えようもなく幸運だっただろう。これが冬であれば、おそらくその日の夜に私という一個の生命体は活動を
停止していた。この私が、である! それはいったい世界にとってどれほどの損失だろうか。想像するだけで身の毛がよだつとはこのことだ。
それを考えれば、やはりこうした窮状においてなお、私という存在は世界に祝福されていると考えるのも無理からぬことだろう。
 とはいえ、当時の私はそれほど強力な自我を有していなかったので、とかく危機意識だけが先行していた。何せ、着の身着のまま、はした金だけ
握らされて家なき子だ。加えて、直前にすべての財産をむしり取られたのがいけなかった。ヘタに大人たちの接触を許せば、このなけなしの財産ですら奪われる――という疑心暗鬼が先行した。無論、今はそうは思わない。いくらなんでも
私の周りにいた大人は悪質にすぎる。富裕層が比較的そろっている私の故郷であれば、多少恥を忍べば最低限孤児院への斡旋、私の器量を以て
すれば養子縁組まで軽々とこなせるはずだった。しかし私は大人を十把一絡げに警戒し、結果として自らストリートチルドレンとしての道を
選んでしまった。
 後から思えば、まさしく通婚だったと言えよう。ここで選択をミスしていなければ、私の道程は最初ほどではないにしても、現在よりもずっと
歩みやすかったのだから。とはいえ、過ぎてしまったことを今更紙面の上で後悔しても仕方がない。後述するが、この時の選択が現在の私の力を
磨く一因にもなっているのだ。

 ともあれ、ストリートチルドレンとしての歩みを始めた私にとって幸いだったのは、私の故郷の治安が――潜在的にはともかく――よかった
という点だろう。治安がいいというのは即ち私の『同業者』即ちストリートチルドレンがほかにいないということであり、つまり私にとって生活を
脅かすライバルが存在しないということでもあった。
 私は主に残飯漁りとスリ、万引きをして生計を立てた。数日前までは暖かな室内で過ごし、柔らかいベッドの上で寝起きし、美味な食事を
とっていた私としては、その暮らしはいっそ屈辱ですらあった。寒暖差の激しさを路地裏の日蔭に籠ることで凌ぐ変温動物のような生活環境。
寝起きするのはところどころが固く寝心地も悪い塩化ビニル製のゴミ袋の上。極め付けに食事は、飲食店が出す廃棄のゴミ。
 一度でも腐ったものを食べればそこから下痢と栄養失調のスパイラルで死に至ることを英才教育によって知っていた私は、とにかく細心の
注意を払ってゴミを漁った。ゴミ袋の中でミックスされた残飯は時に腐ったものとも混じっていて、とても食べられたものではなかったが――
それでも、食べなければ飢え死にだ。私は屈辱に耐えながら、生きるために食べた。……それでも、肥えた舌は腐臭を多少誤魔化せる程度に味の
濃い残飯しか受け付けることはできなかったが。この時の体験のせいで今でも味の濃い食べ物以外は舌が受け付けないのは痛恨の極みだ。味が
薄いとどこからか饐えた匂いがする錯覚を味わわなければならないのは、まさしくこの世の理不尽である。
 思えばこの時スリや万引きをしている際に捕まってしまえば、いっそ話は早かったかもしれない。警察組織に引き渡されるにしても、弱冠六歳の
幼児である。情状酌量は十分に考えられたし、社会のセーフティネットが正常に機能していないにしろ、そこから破滅街道に叩き込まれるほど
私の故郷のモラルは崩壊していなかったようにも思える。まさしくセレブリティ万歳といったところか。
 ただし、その点において、私は優秀すぎた。
 やはり、物心つく前から行われていた英才教育の賜物だろうか? よもやストリートチルドレンに転落した身で自身をインテリ階層と称する
つもりは毛頭ないが、それにしても物の道理を弁えているというのはそれだけで人的資源の価値を引き上げてくれる。
 結論から言って、私は一度もヘマをしなかった。
 スリも万引きも逃走まで完遂させた。お蔭で私は故郷において飢えたことが一度もない。しかしやがて、そうした私の生活も破綻を迎えることに
なる。私がストリートチルドレンになってから二週間ほどのことだ。流石に当局も重い腰を上げた。私の捕縛を賞金稼ぎに依頼しはじめたのだ。
 無論、生得的資質に恵まれている私とはいえ、六歳そこそこの幼児。賞金稼ぎ相手に逃げ切れるなどとは常識的観点からも考えられなかったし、
何よりこのまま故郷に留まり賞金稼ぎと鬼ごっこを演じるよりは、より治安の悪い――つまり締め付けの少ない街へ狩場を移すほうが最適であると
判断したのだった。
 治安が悪いということは当然身の危険も増すということだが――――当然のこととして、私の有する生得的資質は、その程度の危険は容認
できるほどに優秀なのだから。

 …………。



書き上げた原稿を前に(下)


「うーん、やっぱこれ長いよなぁ」

 頭を掻きながら、ぼんやりと呟く。
 暇だからと筆を執ったら――といってもタブレットのテキストエディタ機能だが――思いのほか筆が進んでしまい、真夜中にこんなに長々と
文章を書いてしまった。
 しかし、こんなものは私の性分ではないな、と改めて書いた文章を読んで思う。ご立派な小説の文体をマネして書いたのでこんな感じだが、
こんなのはアイドルの自叙伝としては相応しくないだろう。
 そもそも、こんな文章だとまるで私が全部計算尽くな凄い策謀家みたいではないか。自分が思慮深い知性を有した遠謀の人であることは否定
しないが、策謀を弄する腹黒インテリ層であるつもりはない。あくまで私は、笑顔で余人を幸せにする善意の徒であるからして。いやほんとマジで。

「ゆ・え・に! こういうのはたった一言で纏めるのが最適と信ずるものである!」

 自室の机の前で誰に言うでもなく宣言した私は、それまで書いていた長々とした文章をまとめて消去し、そして新たに一言、端的かつ明確な
宣言を残しておいた。

フリッカちゃんは、ヴィーナスで…………凄い!!

「…………ん〜〜、やっぱり完璧だよなぁ! 自伝の文章作成は適当なゴーストライターにでも任せとけばいいよなぁ!!」

 適材適所。
 真のヴィーナスは、凡人の雇用まで創出できるのであるっと。

このページへのコメント

 やっぱり凄いわねフリッカさん。
立志伝の序章、的な感じで読み応えが有ったわ。
そして何より、
フリッカさんマジヴィーナス。

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Posted by 記憶屋 2017年06月04日(日) 12:08:27 返信

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