最終更新:ID:osELnvI5ng 2017年01月26日(木) 12:10:26履歴
たまには昔話もいい
突然だが自分語りをさせてくれ、自分を一言で表すなら甘い男だ。
自分に甘い、他人に甘い、詰めが甘い、とにかく甘い。
こんな自分がよく厳しいプロのモノレース世界に8年も居れたと感心するぐらいだ。
カウボーイになったのも自分の甘さが原因と言える。
───────────────────────────────────────────────────────
「さあ、最終チェックポイントを通過しトップは―――」
ハイテンションな実況を応援席の一角で聞きながらスーツ身に纏った老年の男性が「次がラストチャンスか…」とため息
をつくように言葉を吐く、男はレース結果も見ずに席を立つ、しかし気が乗らないのか足取りは重く、背中は哀愁を漂わせていた。
トップ集団がゴールし終わった頃にその赤い機体がゴールした。
決して注目されないが悪い結果とも言えない、微妙な順位に終わった赤い機体に、整備士たちが群がり出てきたレーサーを祝福する。
順位は微妙とはいえ、過酷な地球と月を横断するレースが終わったのだ、お立ち台に立てなくて残念とは誰もいえない。
「…腹の減るレースだ。なんか食い物くれ主任」
「ぼやくなよブリトリス、宇宙のレースは楽しかったろ。今はこれしかないぞ」
「宇宙を飛ぶのは楽しいが、それは機内で食い飽きた、もっとバリエーションないのかこの栄養ブロック」
「何言ってんだプレーン、チーズ、チョコ、メイプル、フルーツ、その他諸々全種類持って行ったろ?」
「………」
「ほら突っ立てないで他の関係者に挨拶してこい、いつまでもここに居たんじゃ邪魔だ邪魔」
シッシッと犬でも追い払うかのように、整備主任がブリトニスを追い出し機体の整備に取り掛かる。
この明るい雰囲気の中皆楽しそうに働いている、趣味と仕事が一致した幸せな職場がそこにはあった。
───────────────────────────────────────────────────────
「………か、解雇ですか?」
オイルとシンナー、塗料の臭いが染みついた事務室の中でブリトニスが青ざめた顔で呟くように言葉を発した。
「そうは言っていない、次のレースお立ち台に乗れたなら、これからも頑張って欲しいと言っている」
事実上の解雇通知であった。ブリトニスがお立ち台に上がったことは長いレース人生で3回、それも格下ばかりの楽なレースや
相手の機械トラブルに乗じたラッキーゴールだったりと実力が拮抗または上回る相手のレースには結果を出せていない。
ではなぜ、厳しいプロの世界で8年もの長い年月過ごせていたかというと、最低限の仕事ができていたという事と自身の地位を
脅かす対抗馬がいなかったからである。
「君のスポンサーになってもう8年。確かに君はベストでなくてもベターな仕事はしてきた。我が社としてもありがたい限りだ」
「しかし、後任を見つけてしまった。先方も乗り気だ」
「………」
「引退を考えてもいい時期とも思った。しかしそれじゃ、あまりに不誠実だ」
「……それが最後のチャンス」
「そうだ。それが君の働きへの誠意だ」
「………」
長く苦しい沈黙が続くが、やがて震える四肢を抑え決意を熱意がこもった目で前を向き胸を張って答えた
「…わかりました。次のレースお立ち台に上がるとは言わずにトップを獲ります社長」
「…そうか、次のレース頑張ってくれ」
───────────────────────────────────────────────────────
レース当日がやってきた。
土星の第二衛星エンケラドゥスの地でブリトニスの進退がここで決まる。
エンケラドゥスは重力が弱く独特の大気でレーサーの腕前が試されるレースだ。
機内で興奮を抑えきれない様子のブリトニスは何度も何度も深呼吸を繰り返す。
「まだ辞めたくない」「自分はもっと飛べるんだ」「しかし老いも感じ始めている」このような思考が
レース前から止まらず集中できていない。
「大丈夫かブリトニス!?落ち着けこのままじゃ事故るぞ!!」
「………問題ない主任、俺はベストコンディションだ」
自身に何度も暗示のように言い聞かせる。
主任の言葉も半ば聞こえていないようで何を言っても「大丈夫」としか返さない。
そんな問答が続いているとついにレース開始時間となった。
主任もこのままでいいのかと悩んでいるが、最後のレースになるかもしれないと思うと何とか行かせてやりたい
しかし、このままでは事故るかもしれないといった葛藤が続く中、結論を出す
「いいか、ダメだと思ったら外から止めるからな!」
外から機体を止めるそれはレーサーにとっては引退宣告のようなものである。
それを受けたレーサーは走る資格なしの烙印を押される、ある種の禁じ手だ。
「それは!………いやわかった、ダメだと思ったらそっちで止めてくれ」
冷や水を浴びせられたかのように目が冴えた。
気負いすぎていたと内心らしくない思いに苦笑いする。
「(まるで初レースのようだった)…大丈夫さ主任、いつものように宇宙を楽しんでくる」
「しっかりしてくれたようで安心したよ。もうレースが始まる…頑張れよ」
「おう!」
───────────────────────────────────────────────────────
レース序盤ブリトニスは全ての音が聞こえるかのような錯覚を感じていた。
自身の心臓音から機体のエンジン音、外の風を裂く音、果ては聞こえないはずの前を走っている相手の呼吸まで。
「(こんな感覚は初めてだ)」
聞こえるだけではない見えている、正しいラインから前の機体のズレ、後ろ機体の位置、全てが見えていた。
その証拠にトップ集団についていけている。
通常なら下位争いに入らないようにするので精一杯のレベルの高いレースでいい位置をキープできている。
「(これってゾーンに入るってやつか)」
思考にも余裕を持っている、これはひょっとして行けると思った次の瞬間、横風が吹き前の機体が浮いた。
「(ここだ!もぐりこめ!)」
重力の弱いエンケラドゥス特有の現象だ、この衛星のレースは少しのミスが大ロスに繋がる。
浮いた機体の下をスレスレに通り一つ順位を上げた
「やれる!やれるんだ俺は!!」
レースは折り返し地点に差し掛かっていた。
───────────────────────────────────────────────────────
「おいおい、いったいこりゃどうなってるんだ?」
整備主任が呟くのも無理はない。
出来過ぎているのだ、レーサーもそうだが機体も「そう」なのである。
「ホントにあれは俺たちのレーサーで俺たちのモノマシンなのか?」
「なんでもいいじゃないですか主任!とにかく行け!こうなったらトップを獲ってしまえ!」
下っ端の整備士が興奮したように叫ぶ、そうだ夢でも幻覚でも俺たちの代表が実力派ぞろいのレースでトップ
集団に食いついているんだ、応援せずにいられるかと息巻く。
「その通りだ!トップを獲れブリトニス!!」
同刻応援席の一角で興奮したスーツを纏った老年の社長が隣にいる観客をヘッドロックにかけながら応援している
「行け!行け!行け!イケイケイケイケイケいぃけえぇぇぇぇぇ!」 グルシイ
「今だ!突っ込め前に出れるぞ!そうだそうだそうだだだだ!オッシャー!!抜いた!!!」 ジジィヤメロ
「何を下向いている!ほら見ろ私のレーサーが抜いたぞ!泡吹いてる場合か!!」 ビクンビクン
───────────────────────────────────────────────────────
「………信じられない」
未だにブリトニスの赤い機体がトップ集団に食い込んでいた、まるで魔法にでも掛ったかのような理想的なライン取り
理想的な加速、理想的な機体操作、どれをとっても自身の実力じゃ無理な代物だ。
「(今までだと失速していたな)」
通常のブリトニスの腕では失速確実な曲がり方だ、しかし機体のバランスも立て直し、風を流すようにスイスイと進む。
「(薬でもやったか俺?)」
自身でも自信がないのか無意識のうちにドーピングしたかを疑るのも無理はない。
ここまで都合がよいと、何かどんでん返しがあるんじゃないかと確信めいたモノを感じてしまう。
そしてその直感は当たっていた。
ガンッと金属同士を叩きつけた音が響く。
先頭の機体が事故ったのだ。
「ッ!巻き込ま!?」
巻き込まれないよう必死で機首を上げたが、それがいけなかった。
無理やり上げた機首は失速を起こし揺れ落ちる木の葉のように墜落した。
───────────────────────────────────────────────────────
失速しスピードが落ちていた事、高高度を飛んでいなかった事、この星の重力が弱い事が重なって奇跡的に助かった。
レース結果は当然失格、ブリトニスの首も飛んだ。ついでに言えば財布の中身も飛んだ。
「最後機首を下げていればなぁ…」
本当に最後の詰めが甘かった。
事故った機体の落下速度を考えれば下から抜くのは十分可能であったが、機首をあげてしまった。
「おかげで今までの稼ぎがパーかよ」
再生手術のおかげで五体満足で内臓も無事であったが手術費がトンでもないことになっていた。
病院に運ばれた時にはなんで死んでいないのか解剖したいと医者に本気で言われたぐらいグチャグチャになっていたそうだ。
「不幸中の幸いは命があるのと機体が傷だらけでも軽傷ってことだけか………」
情けなくぼやくが現実は変わらない、ブリトニスの全財産は傷だらけの機体のみになってしまった。
ブリトニス・ペガサスがカウボーイになる5年前の出来事である。
突然だが自分語りをさせてくれ、自分を一言で表すなら甘い男だ。
自分に甘い、他人に甘い、詰めが甘い、とにかく甘い。
こんな自分がよく厳しいプロのモノレース世界に8年も居れたと感心するぐらいだ。
カウボーイになったのも自分の甘さが原因と言える。
───────────────────────────────────────────────────────
「さあ、最終チェックポイントを通過しトップは―――」
ハイテンションな実況を応援席の一角で聞きながらスーツ身に纏った老年の男性が「次がラストチャンスか…」とため息
をつくように言葉を吐く、男はレース結果も見ずに席を立つ、しかし気が乗らないのか足取りは重く、背中は哀愁を漂わせていた。
トップ集団がゴールし終わった頃にその赤い機体がゴールした。
決して注目されないが悪い結果とも言えない、微妙な順位に終わった赤い機体に、整備士たちが群がり出てきたレーサーを祝福する。
順位は微妙とはいえ、過酷な地球と月を横断するレースが終わったのだ、お立ち台に立てなくて残念とは誰もいえない。
「…腹の減るレースだ。なんか食い物くれ主任」
「ぼやくなよブリトリス、宇宙のレースは楽しかったろ。今はこれしかないぞ」
「宇宙を飛ぶのは楽しいが、それは機内で食い飽きた、もっとバリエーションないのかこの栄養ブロック」
「何言ってんだプレーン、チーズ、チョコ、メイプル、フルーツ、その他諸々全種類持って行ったろ?」
「………」
「ほら突っ立てないで他の関係者に挨拶してこい、いつまでもここに居たんじゃ邪魔だ邪魔」
シッシッと犬でも追い払うかのように、整備主任がブリトニスを追い出し機体の整備に取り掛かる。
この明るい雰囲気の中皆楽しそうに働いている、趣味と仕事が一致した幸せな職場がそこにはあった。
───────────────────────────────────────────────────────
「………か、解雇ですか?」
オイルとシンナー、塗料の臭いが染みついた事務室の中でブリトニスが青ざめた顔で呟くように言葉を発した。
「そうは言っていない、次のレースお立ち台に乗れたなら、これからも頑張って欲しいと言っている」
事実上の解雇通知であった。ブリトニスがお立ち台に上がったことは長いレース人生で3回、それも格下ばかりの楽なレースや
相手の機械トラブルに乗じたラッキーゴールだったりと実力が拮抗または上回る相手のレースには結果を出せていない。
ではなぜ、厳しいプロの世界で8年もの長い年月過ごせていたかというと、最低限の仕事ができていたという事と自身の地位を
脅かす対抗馬がいなかったからである。
「君のスポンサーになってもう8年。確かに君はベストでなくてもベターな仕事はしてきた。我が社としてもありがたい限りだ」
「しかし、後任を見つけてしまった。先方も乗り気だ」
「………」
「引退を考えてもいい時期とも思った。しかしそれじゃ、あまりに不誠実だ」
「……それが最後のチャンス」
「そうだ。それが君の働きへの誠意だ」
「………」
長く苦しい沈黙が続くが、やがて震える四肢を抑え決意を熱意がこもった目で前を向き胸を張って答えた
「…わかりました。次のレースお立ち台に上がるとは言わずにトップを獲ります社長」
「…そうか、次のレース頑張ってくれ」
───────────────────────────────────────────────────────
レース当日がやってきた。
土星の第二衛星エンケラドゥスの地でブリトニスの進退がここで決まる。
エンケラドゥスは重力が弱く独特の大気でレーサーの腕前が試されるレースだ。
機内で興奮を抑えきれない様子のブリトニスは何度も何度も深呼吸を繰り返す。
「まだ辞めたくない」「自分はもっと飛べるんだ」「しかし老いも感じ始めている」このような思考が
レース前から止まらず集中できていない。
「大丈夫かブリトニス!?落ち着けこのままじゃ事故るぞ!!」
「………問題ない主任、俺はベストコンディションだ」
自身に何度も暗示のように言い聞かせる。
主任の言葉も半ば聞こえていないようで何を言っても「大丈夫」としか返さない。
そんな問答が続いているとついにレース開始時間となった。
主任もこのままでいいのかと悩んでいるが、最後のレースになるかもしれないと思うと何とか行かせてやりたい
しかし、このままでは事故るかもしれないといった葛藤が続く中、結論を出す
「いいか、ダメだと思ったら外から止めるからな!」
外から機体を止めるそれはレーサーにとっては引退宣告のようなものである。
それを受けたレーサーは走る資格なしの烙印を押される、ある種の禁じ手だ。
「それは!………いやわかった、ダメだと思ったらそっちで止めてくれ」
冷や水を浴びせられたかのように目が冴えた。
気負いすぎていたと内心らしくない思いに苦笑いする。
「(まるで初レースのようだった)…大丈夫さ主任、いつものように宇宙を楽しんでくる」
「しっかりしてくれたようで安心したよ。もうレースが始まる…頑張れよ」
「おう!」
───────────────────────────────────────────────────────
レース序盤ブリトニスは全ての音が聞こえるかのような錯覚を感じていた。
自身の心臓音から機体のエンジン音、外の風を裂く音、果ては聞こえないはずの前を走っている相手の呼吸まで。
「(こんな感覚は初めてだ)」
聞こえるだけではない見えている、正しいラインから前の機体のズレ、後ろ機体の位置、全てが見えていた。
その証拠にトップ集団についていけている。
通常なら下位争いに入らないようにするので精一杯のレベルの高いレースでいい位置をキープできている。
「(これってゾーンに入るってやつか)」
思考にも余裕を持っている、これはひょっとして行けると思った次の瞬間、横風が吹き前の機体が浮いた。
「(ここだ!もぐりこめ!)」
重力の弱いエンケラドゥス特有の現象だ、この衛星のレースは少しのミスが大ロスに繋がる。
浮いた機体の下をスレスレに通り一つ順位を上げた
「やれる!やれるんだ俺は!!」
レースは折り返し地点に差し掛かっていた。
───────────────────────────────────────────────────────
「おいおい、いったいこりゃどうなってるんだ?」
整備主任が呟くのも無理はない。
出来過ぎているのだ、レーサーもそうだが機体も「そう」なのである。
「ホントにあれは俺たちのレーサーで俺たちのモノマシンなのか?」
「なんでもいいじゃないですか主任!とにかく行け!こうなったらトップを獲ってしまえ!」
下っ端の整備士が興奮したように叫ぶ、そうだ夢でも幻覚でも俺たちの代表が実力派ぞろいのレースでトップ
集団に食いついているんだ、応援せずにいられるかと息巻く。
「その通りだ!トップを獲れブリトニス!!」
同刻応援席の一角で興奮したスーツを纏った老年の社長が隣にいる観客をヘッドロックにかけながら応援している
「行け!行け!行け!イケイケイケイケイケいぃけえぇぇぇぇぇ!」 グルシイ
「今だ!突っ込め前に出れるぞ!そうだそうだそうだだだだ!オッシャー!!抜いた!!!」 ジジィヤメロ
「何を下向いている!ほら見ろ私のレーサーが抜いたぞ!泡吹いてる場合か!!」 ビクンビクン
───────────────────────────────────────────────────────
「………信じられない」
未だにブリトニスの赤い機体がトップ集団に食い込んでいた、まるで魔法にでも掛ったかのような理想的なライン取り
理想的な加速、理想的な機体操作、どれをとっても自身の実力じゃ無理な代物だ。
「(今までだと失速していたな)」
通常のブリトニスの腕では失速確実な曲がり方だ、しかし機体のバランスも立て直し、風を流すようにスイスイと進む。
「(薬でもやったか俺?)」
自身でも自信がないのか無意識のうちにドーピングしたかを疑るのも無理はない。
ここまで都合がよいと、何かどんでん返しがあるんじゃないかと確信めいたモノを感じてしまう。
そしてその直感は当たっていた。
ガンッと金属同士を叩きつけた音が響く。
先頭の機体が事故ったのだ。
「ッ!巻き込ま!?」
巻き込まれないよう必死で機首を上げたが、それがいけなかった。
無理やり上げた機首は失速を起こし揺れ落ちる木の葉のように墜落した。
───────────────────────────────────────────────────────
失速しスピードが落ちていた事、高高度を飛んでいなかった事、この星の重力が弱い事が重なって奇跡的に助かった。
レース結果は当然失格、ブリトニスの首も飛んだ。ついでに言えば財布の中身も飛んだ。
「最後機首を下げていればなぁ…」
本当に最後の詰めが甘かった。
事故った機体の落下速度を考えれば下から抜くのは十分可能であったが、機首をあげてしまった。
「おかげで今までの稼ぎがパーかよ」
再生手術のおかげで五体満足で内臓も無事であったが手術費がトンでもないことになっていた。
病院に運ばれた時にはなんで死んでいないのか解剖したいと医者に本気で言われたぐらいグチャグチャになっていたそうだ。
「不幸中の幸いは命があるのと機体が傷だらけでも軽傷ってことだけか………」
情けなくぼやくが現実は変わらない、ブリトニスの全財産は傷だらけの機体のみになってしまった。
ブリトニス・ペガサスがカウボーイになる5年前の出来事である。
このページへのコメント
モノレース、良いわよね。
社長さんの興奮ぶりにはくすりと来たわ。